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福岡高等裁判所 昭和52年(う)344号 判決 1978年7月11日

本籍

熊本市池上町一、三〇〇番地

住居

熊本市南千反畑町一三番地の一

会社役員

松村四郎

大正四年四月三〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五二年五月三〇日熊本地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官疋田慶隆出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高良一男が差し出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

一  控訴の趣意第一点、理由不備の主張について。

所論は、

(一)  雑所得については、各証券会社ごと、各勘定科目ごとに所得を明記し、その所得は被告人に支払われたのか、または各取引証券会社との間で残高照合により所得を告知または認識したかの点まで判示すべきであるのに、原判決の別紙修正損益計算書ではこの点が明らかでない。

(二)  所得税法九条一項一一号イ、同法施行令二六条二項によれば、有価証券の取引は年間五〇回以上、株数または口数二〇万以上の売買がなされたとき、課税の対象となると規定されているのに、原判決はこの点を明らかにしていない。

(三)  投資信託の場合、分離課税の手続をとったら確定申告の手続はいらないところ、原判決の別紙修正損益計算書では分離課税か総合課税か判然としない。

というのである。

しかし、右(一)の点については、被告人に所得についての概括的な認識があれば足りると解されるから、各取引証券会社ごとに、証券売買による利益が被告人に支払われたとか、またはその旨の通知があったとかをいちいち判示する必要のないことはいうまでもない。

(二)の点については、原判決は「被告人は……営利を目的とした有価証券の売買を継続的に行い」と判示しているのであるから、所得税法施行令二六条一項に該当するものとして、同法九条一項一一号イの非課税対象外であるとしていることが明らかであり、同法施行令二六条二項の要件事実を記載する必要はない。

(三)の点については、原判決は「昭和四七年分の総合所得金額は八、六八三万九、五〇四円であって」と判示し、総合所得に対する課税であることを明示しており、また当審証人山口勉の供述及び同人作成の脱税額計算書によれば、右金額中には、分離課税の対象となる投資信託(公社債投資信託及びそれ以外の投資信託)の分配利益は含まれていないことが認められる。

論旨は理由がない。

二  控訴の趣意第二点、審理不尽、法令解釈適用の誤りの主張について。

所論は、

(一)  被告人の妻スミヱの野村証券等との取引が被告人の包括的な委任に基づくものであったこと、所得はすべて被告人に帰すべき筋合であったことは明らかであるが、昭和四七年度の雑所得についてはスミヱ自身認識がなく、まして被告人には認識がなかったのであるから、有価証券取引について、その個別的、具体的な取引行為自体は被告人の妻スミヱが担当したものであるとの説示事実と被告人は多額の所得を得ていたという説示事実は結びつかない。

(二)  野村証券熊本支店の営業課長をしていた尾崎斉が被告人の妻スミヱから預っていた証券を無断使用したため、昭和四六年一一月二四日現在で預っていた株券を昭和四七年七月一八日ころ同じ銘柄、数量で弁償したが、尾崎の買付価額は三、五〇八万円位で、現物で弁償した株購入価額は五、〇一五万二、〇〇〇円位であり、野村証券にとっては一、六九〇万九、〇〇〇円位の損失となり原判決は野村証券の右損失金額を被告人の昭和四七年度所得と認定していると思料されるが、右差額は昭和四六年の所得として発生したもので、昭和四七年の所得として課税の対象とすることはできない。

(三)  原判決は投資信託の購入価格と売却価格との利益差金を課税の対象にしたと思料されるが、この点についての審理が尽されていない。

というのである。

そこで先ず(一)の点について検討するに、記録並びに原審及び当審で取り調べた証拠によると、

1  被告人は、昭和三七年ころから証券の取引を妻スミヱにまかせていたが、昭和四一年ころには被告人自ら株式の取引をしていること。(被告人の検察官に対する昭和五一年三月九日付供述調書、当審証人松村スミヱの供述、被告人の当審公判廷における供述参照)

2  右スミヱが野村証券、大和証券、新日本証券に預けていた証券の価額は昭和四六年ころにおいて、それぞれ数千万円または一億円を超えるものであったこと。(原審証人小松英夫、同小坂鉄士、同高木義信の各供述参照)

3  野村証券熊本支店営業課長であった尾崎斉がスミヱから預った株券を無断使用した件について、被告人はその弁償について野村証券側と交渉し、昭和四七年七月一八日ころ株券で弁済を受けることになったが、預託時(昭和四六年一一月二四日ころ)の価額は三、三〇〇万円位(買付価額は三、五〇八万円)であったものが、右弁済時には五、〇一五万円位にも上昇していたこと。(原審証人小松英夫の供述、塚口純の検察官に対する供述調書、大蔵事務官山口勉作の脱税額計算書参照)

4  本件につき熊本国税局の調査が始まった昭和四九年二月ころ、被告人は野村証券熊本支店総務課長山本知義に対し、自分は取引内容は知らないから、取引内容に関する書類は出さないでくれと頼んでいること。(原審証人山本知義の供述参照)

が認められるから、被告人が妻スミヱの証券ないし株式の取引につき無関心であるはずがなく、個々の取引については具体的に知らなかったとしても、取引の大勢については認識があったと認めるのが相当である。

次に(二)の点については、所論指摘の野村証券が弁償した株券の買付時と弁償時のそれぞれの価額の差額は、被告人の昭和四七年の所得には計上されていないことは、当審証人山口勉の供述、同人作成の脱税額計算書によって明らかであるから、所論はその前提を欠く。

最後に(三)の点については、投資信託の売買損益が課税の対象とされていることは前記証拠によって認められるが、原審においてはこの点について別に争いはなく、これに関する証拠書類又は証拠物が取り調べられていることは前記脱税計算書の記載によっても明らかであるから、この点についての審理が尽くされていないとはいえない。

論旨は理由がない。

三  控訴の趣意第三点について。

所論は、所得税法二三八条一項にいわゆる「偽りその他不正の行為」とは、税の収納を減少せしめるような結果をもたらすに足りる行為が積極的になされることを要するところ、本件においては偽りその他不正の行為が積極的に行われたと認められないから、単純不申告と解すべきである、というのである。

しかし、所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を税務署長に提出する行為は所得税法二三八条一項にいう「偽りその他不正の行為」にあたると解すべきであるところ(昭和四八年三月二〇日最高裁第三小法廷判決参照)、被告人は、原判決摘示のとおり、昭和四七年分の所得税確定申告書に所得金額として、雑所得七、八八〇万四、三六四円であることを記載せず、単に不動産所得と給与所得との合計八〇三万五、一四〇円を記載し、これを熊本西税務署長に提出したのであるから、被告人の右所為は単なる不申告ではなく、所得税法二三八条一項の偽りその他不正の行為にあたるものと解すべきである。

論旨は理由がない。

以上のとおり、本件控訴は理由がないから刑訴法三九六条によりこれを棄却し、なお当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文により被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 桑原宗朝 裁判官 緒方誠哉 裁判官 井野三郎)

昭和五二年(う)第三四四号

主任裁判官 ホ

○ 控訴趣意書

所得税法違反 松村四郎

右者に対する頭書被告事件に付き原判決破棄の上無罪の判決を御願いします。

昭和五二年九月二二日

弁護人 高良一男

福岡高等裁判所

第三刑事部 御中

控訴理由

第一点

原判決には理由不備の違法があり到底破棄を免れないと思料します。

原判決は罪となる事実として「被告人は有限会社松竹会館ほか七社の代表取締役を兼務するかたわら個人で営利を目的とした有価証券の売買を継続的に行い多額の所得を得ていたものであるが自己の所得税を免れようと企て、右有価証券の売買を架空人名儀で行うなとして所得税を秘匿し、昭和四七年分の総所得金額は八、六八三万九、五〇四円であって、これに対する所得税額は五、一六〇万二、一〇〇円であるにかかわらず、昭和四八年三月一五日熊本市二の丸一番四号所在の所轄熊本西税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は八〇三万五、一四〇円でこれに対する所得税額は一三〇万四、七〇〇円である旨ことさら過少に金額を記載した虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正での行為により所得税五、〇二九万七、四〇〇円を免れたものである、なお所得の内容及び税額の計算は別紙のとおりである、と判示し、」別紙として脱税額計算書一枚犯則税額の計算内訳一枚修正損益計算書二枚が編綴されてある。

ところで判決理由では次の点が判然としていない。

(一) 所得税法上課税物件は所得であり、雑所得の金額は所得支払いの時と解されるのに有価証券を売買して得たと言ふ所得はどの様な経路で被告人の資産に繰り込まれたのか判明しない。

(二) 税法上(所得税法第九条第一項一一号のイ政令第二六条二項)株式の取引は年間五〇回以上二〇万株以上の売買がなされた時課税の対象となると規定されているのに判決理由では此の点も明らかにされてない。

(三) 投資信託の場合、租税特別措置法第三条により分離課税としての手続きをとったら、確定申告はいらない、判決理由別表修正損益計算書、勘定科目(雑所得)2句至4の記載だけでは分離課税か総合課税を意味するのか判然としない。

以上の事実から原判決には法が脱税構成要件として要請している事実に付いての説示がなく結局判決に理由不備の違法があると思料します。

第二点

原判決には審理不尽、法令の解釈適用を誤った違法があり破棄しなければ著しく正義に反すると思料します。

(一) 原判決は前記の通り、被告人は個人で営利を目的とした有価証券の売買を継続的に行い多額の所得を得ていたものであるがと判示し乍ら、検察官の本件犯行は被告人が妻スミヱと共謀のうえ実行したものであるとの主張に対し「よって検討したところ先ず昭和四七年における、野村証券、新日本証券、大和証券との間の有価証券取引について、その個別的、具体的な取引行為自体は被告人の妻スミヱがこれを担当したものであるが、これらはいずれも被告人の包括的な委任に基づくものであってその取引による所得は総べて被告人に帰属したことが明らかである、しかし乍ら云々、所得税確定申告書を提出するにつき、妻スミヱとその意思を相通じてこれを実行したものであるとは認められず、その他本件犯行を実行するにつき妻スミヱと共謀したとの事実を認めるに足りる証拠はない、と説示し検察官主張の共謀の点を排斥して居ります。野村証券等との取引が被告人の包括的な委任に基づくものであった事実は明らかであり、その取引による所得は総て被告人に帰属すべき筋合のものであった事も明らかである。然し判決理由と検察官主張の前記共謀の点を排斥した説示とは矛盾して居る、有価証券取引について、その個別的、具体的な取引行為自体は被告人の妻スミヱが担当したものであるとの説示事実と被告人は多額の所得を得ていたものであるがとの判示事実とはどうして結び着くのか証拠上判明しない。却って原判決挙示の証拠を仔細に検討して見ても取引を担当していた妻スミヱ自身四七年度の雑所得に付いては金額は勿論雑所得としての収入があった事自体に付いて認識があったと認むるに足る証拠はなく従って妻スミヱは被告人に対し担当する有価証券の取引について四七年度の雑所得関係等を被告人に知らせたと認むるに足る証拠もありません。

(二) 原審証人小松英夫、同尾崎斉の供述記載並に塚口純の検察官に対する供述調書の供述記載に依れば野村証券熊本支店の営業課長として昭和四二年七月頃から同四六年一一月迄被告人の妻スミヱの証券取引を担当していた、尾崎はスミヱから預り証を甘言を以て預り無断使用した為四六年一一月二四日現在預りの株券をスミヱに返還出来ないまま転勤した、其の後右不正が発覚した為野村証券は尾崎の私製預り証等に依り四七年七月一八日頃被告人やスミヱと交渉の結果尾崎メモ記載の株券と同じ銘柄数量で現物を以て弁償した。

尾崎メモの買付総額は三、五〇八万円位であり、現物を以て弁償するに要した株購入総額は五、〇一五万二、〇〇〇円位となり、野村証券にとっては一、六九〇万九、〇〇〇円位の損失となった事実が認められます。

原判決は野村証券の右損失金額を被告人の四七年度所得と認定して居るかと思料されます。然し雑所得の金額は収入すべき権利の確定する時と解釈するのが通説であり名古屋高裁の三一年八月二二日の判決では法律上の所得は発生主義を採用すべきであると判示して居ります。学説に雑所得は所得支払いの時が課税対象となると説いているのは所得の発生、収入すべき権利の確定だけでは足りずその認識まで必要であると云ふ見解に立っていると考へます。

その様な見地に立って本件を見ると五、〇一五万二、〇〇〇円で株券を野村証券が購入したのは四六年一一月二四日頃被告人の所得として発生し、雑収入として収入すべき権利が確定していたのを四七年度になって補填したに過ぎず、従って四七年九月一八日頃の時点で所得が発生したとして課税の対象とする事は明らかに法令の解釈適用を誤った違法があると断ぜざるを得ない。

(三) 原判決は投資信託株券を売却して株式現物取引に切替え、それに依り投資信託株券の購入価格と売却価格の利益差金を課税の対象にしたかと思料されますが此の点に付いての審理が全く尽されていないきらいがある。

以上の事実を彼此綜合して考へると原判決には審理不尽法令の解釈適用を誤った違法があり到底破棄を免れないと思料します。

第三点

原判決には判例に違反した判断をした違法がある。

所得税法にいわゆる詐欺その他不正な行為とは社会通念上税の収納を減少せしめる様な結果をもたらすに足る行為が積極的になされることを要まるというのが判例であります。本件において詐欺その他不正の手段が積極的に行はれたと認むるに足る証拠はなく寧ろ単純不申告と解するのが妥当と思料します。

(一) 松村スミヱが野村証券、新日本証券、大和証券(以下三証券と呼称します。)と有価証券取引を担当する様になった経緯等に付いて。

被告人は、昭和三七年頃から経営する会社の仕事が多忙となった為証券会社との交渉を妻スミヱに委せる様になった。当時の交渉は総て投資信託の配当受領等が交渉の内容であった、途中スミヱが子宮癌で入院したが退院後は又妻スミヱに其の交渉を一任した。被告人としては関係会社の仕事が多忙という事もあり旁々妻スミヱが病弱で仕事が出来ないので気晴しと言う考へもあって昭和四二年頃は被告人が所持していた証券やその預り証一切と必要の印を妻スミヱに預けこの時点で原判決説示にある様に三証券との間の有価証券取引についての個別的、具体的な取引行為自体は妻スミヱに包括的に委任した事実が明らかであります。

松村スミヱが被告人から包括的委任を受けた頃、被告人の三証券に対しての預り証券は四二年七月頃から昭和四六年一一月迄妻スミヱと証券取引の衝に当った尾崎斉の証言に依れば同証人が前任者大沼誠一から引継ぎを受けた時点で投資信託関係で約八、〇〇〇万円位、普通の株券で一、〇〇〇万円位との供述記載があり同証人の後任者小松英夫の証言に依れば四六年一一月引継ぎの時点で株式の外投資信託等の価格は三、三〇〇万円見当となっている旨の供述記載があります。新日本証券は高本義信が昭和四五年末から四六年一〇月頃迄松村スミヱと株券取引の衝に当り其の後を太田雅拡が引継いで居ります。高本証人が引継いだ時点で新日本証券は被告人から一億二千万円位預って居り四六年一〇月頃太田雅拡が高本から引継いだ時点では被告人からの預りは一億円少々となって居る事実が認められます。大和証券は四四年三月から四六年七月迄小坂鉄士が松村スミヱとの証券取引の衝に当って居り、四六年八月から四九年一〇月迄西田隆が小坂の後継者として其の衝に当って居ります。小坂の原審公判廷に於ける供述記載に依れば担当を引継いだ時点で被告人からの預りは概算、六、〇〇〇万円位で其の九〇%が投資信託であとは現株であった事実が認められます。野村証券、大和証券の証人(担当者)の供述記載や被告人の供述記載からして新日本証券の一億二千万円預りという供述は殆んどが投資信託を時価に換算した金額である事は容易に推認されます。即ち松村スミヱが被告人から三証券との間の有価証券取引の包括的委任を受けた時点では殆んどが投資信託であり、スミヱは其の管理を委せられたに過ぎない事実が認められます。投資信託は年一回の配当であるが被告人が当時所持していた投資信託の総額からして毎月いくつかの口座からの配当があり、其の受領、五年満期の投資信託の切替へがスミヱの任された仕事の内容である事実が認められます。配当金や満期に依る償還金をスミヱが受領したと認むるに足る証拠拠はありません。其は右金員が新規の投資信託を購入する資金に充当する方法を執ていた為と思料されます。

(二) 松村スミヱが仮名を使用して三証券と有価証券取引をした経緯等に付いて。

被告人は有限会社一楽会館を設立(三〇、八)した頃知人のすすめで投資信託を購入する事になり当時銀行に無記名預金(脱税のためでなく公認)して数千万円の金員の殆んどをユニット型投資信託購入資金に充てた、当特投資信託は無記名制度があり、被告人も其を利用して居ります。其の後被告人が妻スミヱに証券取引を任す様になった時点迄の間被告人は三証券との証券取引に付いて多くの仮名を使用して居ります。其の事実は原審証人高本義信、同太田雅拡、同尾崎斉、同小坂鉄士等の供述記載に依って明らかであり、同証人等の仮名をする理由に対する認識は「裏金だから」とか「家族の人にも取引内容を知られたくない」とか「仮名口座取引は一般に殆んどの場合使用人に知られたくないとか家族に内緒だとか裏金を隠すため気休めになる程度であり税務署にわからないという事は気休めでわからんことはない旨、山本知義証人の一一〇問百一一問の記載があり」早野孝司証人の三九問には「仮名を作る場合には家族の者に知られたくないとか隣近所に知られたくない、まあ一般論から言へば税務対策、その他いろんなのがあると思います」との供述記載があります。スミヱの場合右証言を裏付ける証拠として原審証人小松英夫の二三〇問に「野村証券の車では絶対に乗り付けちゃいかんと尾崎から注意された」旨の供述記載があり其は近所の人に野村証券と被告人方が取引している事の発覚を心配してスミヱが証券会社担当者に申入れた事によると思料します。被告人が三証券と自分の手で有価証券の取引をして妻スミヱに其を任せる迄は総て投資信託であった。被告人は分離課税制度を利用して居り、取引が成立する都度高率の税が差引かれて確定申告をする必要はなかったに拘らず被告人が多くの仮名を使って取引したのは三証券の担当者が口座をふやして自分の実績を上げる意図からすすめられたのが多い。

被告人にとって実名で取引しようが仮名を利用して取引しようが納税の面から見た場合何等違法はなかった事実が認めらえます。では何故被告人が預金を無記名にし、証券取引に仮名を使用したかに付いての被告人の真意は一億円を越える有価証券は被告人が戦後飲料水や万頭の製造販売、パチンコ機械の販売等汗水を流して苦労に苦労を重ねて築き上げた財産である。被告人に巨額の財産があると言ふ事は苦労を知らない子供達に知られたくなく、知れたら教育上良くないと言ふ配慮と隣り近所の人や知人に判ったら借金の申込み等何や彼といやな問題が惹起する恐れがありはせんかと言ふ懸念から出たものであり他に意図はなかった事実も明らかと思料します。

原審証人尾崎斉の供述調書の六三問には「人に知られると周囲の環境からしても用心が良くない、子供の教育面で子供に自分のうちに財産があると言ふことを直接聞いたりしまして云々」との供述調書からしても被告人が仮名を使用した理由が肯認されます。

松村スミヱが三証券との間の証券取引を担当する様になってから査察官の調査が開始される迄の間にいくつかの仮名口座が作られて居ります。スミヱの供述記載に依れば同人は仮名口座を作る事を三証券の担当者に申し入れた事実はなく逆に仮名口座は面倒くさいから減らして欲しいと申入れた事実が認められます。之に反し高本義信証人の供述調書には担当期間中谷口寛外三ツの仮名口座を作ったが其は奥さん(スミヱ)からの要望であった旨の供述記載があり太田雅拡の供述調書一九八問には仮名口座は奥さんからの依頼である旨供述し乍ら三二二問乃至三三七問には柏木浩の仮名口座を作る時は相談したはずです、と供述して居り、真実を述べて居るとは考へられない。

同証人の三一一問に取引口座を増やせと言ふ事は言はれるまでもなく支店でそれぞれやって居ります旨の供述記載があり馬脚を現はしたとしか考へられない。口座を増やす為仮名を利用する事は証券セールスマンの常套手段である事は当時の証券取引業界では公知の事実であった。

昭和四五、六年頃大蔵省は仮名取引口座は極力圧縮する様にときびしい指示をして居ります(高本証人一五二問)証券マンの現職が右指示に背いた証言、証券会社の方から顧客に仮名取引をすすめたと真実を述べたらその会社の責任を問はれる恐れがあり此の点に付いての現職証人の供述記載は措信し難い。之に反し野村証券を退いた尾崎証人は野村証券はノルマ証券と言はれた位であり、引き継ぐ前から全部仮名で引き継いでから私の判断で私がどんどんふやしました。旨の供述記載があります、其は真実を述べて居ると見るのが妥当であり、他の証券会社も此の点に付いては五十歩百歩と考へます。従って原判決が自己の所得を免れようと企て有価証券の売買を架空人名義で行うなどして所行を秘匿したと判示したのは真相を把握していない嫌いがあると思料します。

スミヱが株式売買取引に仮名を利用したのは被告人や子供に発覚するのを恐れた為であり、税金の事が念頭にあったとは思料されない。

(三) 松村スミヱの有価証券取引の実態並に同女の株式売買等に対する認識等に付いて。

四九年七月二日付松村スミヱに対する質問てん末書の問一八に「今度証券会社の取引記録書類のコピーを取って見てこんなにも多くの取引をしたのかと改めておどろいているような状態です。」旨の供述記載は同女が自分の有価証券取引に対する認識が殆んどなかった事実を端的に表現していると思料します。

昭和五〇年四月七日付大蔵事務官山口勉作成の松村スミヱに対する質問てん末書問二の答として「私は証券会社の電話番号も知らない状態です。証券会社の所在地もはっきり知りません」旨の供述記載があります。証券会社というのは三証券を指している事は明らかであります。電話番号も知らないスミヱが担当者に電話をかけるという事は考へられない。スミヱは三証券の担当者に電話をかけた事実はないと供述して居ります。にも拘らず原審証人小松英夫の供述調書二一二問、三三六問に「注文は証人の方が一〇で奥さんが一の割合である旨、こうゆう儲かりそうな取引がありますよと言って案内した」旨供述記載があり一七二問に「多い日には一日数回電話で案内していた、ない日もあります」旨供述記載、証人太田雅拡の供述調書中、七一問、八七問に「相手からの電話はめったにありません。在任中数回位だった旨、電話は一日最低一回、多い時四~五回かけていた」旨の供述記載、証人小坂鉄士の供述調書一一六問に「スミヱからの注文はない。」旨供述記載、証人西田隆の供述調書中一八問、七五問、九六問に「私がこういう銘柄がいいからお買いなさいとか、今度はこれを売りなさいとかいう電話で奥様から了解を取って商いしていた旨、株が動く時は日に三、四回で、全然しない日もあった、信用取引は山村敏雄という口座で取引していた。私の方からお勧めして非常に動いた時は月に二〇件か三〇件くらい届いたんじゃないかと思います。スミヱからの注文電話はごくわずかであった。」旨の供述記載があります。尾崎斉の供述調書中三六、三七問に「引継の時は信用取引はなく自分が担当する様になってから信用取引をはじめた旨、大沼から引継いだ時同人から資金量があるからやり方さえうまくやればどんどん商いを出して呉れるんではないかと言はれた。」旨の供述記載があります。同人はスミヱに対し安い株を売って優良株に乗り替へることをすすめその商いをして居ります。問題は資金量があるからやり方さえうまくやればどんどん商いを出して呉れるんではないか…と言ふ言葉です。尾崎は引継いでから一年位後、度が過ぎてスミヱから投資信託の預り証を甘言を弄して受取り其を無断で売却して株式取引をした為身の破滅を招いて居ります。小松が引継いだ時は証拠上七、〇〇〇万円位が判然としません。資金量がある点に於ては新日本は一億円を少し上廻り、大和が六、〇〇〇万円位あっていた事実からして三証券の担当者は「やり方さえうまくやればどんどん商いを出して呉れるんではないかと、」いう考へからと見え執拗にスミヱに電話をかけ株の売買をすすめて居る事実が認められます。同人の原審公判廷に於ける供述調書三三には「証券会社の言いなりになって取引をしたのです。」との供述記載があります。証拠に依って明らかな通り松村スミヱが四七年度中に売買した信用取引、現物取引の回数は八一一回に亘って居り、外に投資信託の株を売却した回数を加へると驚く程の回数になります。三証券の担当者は異口同音に無断売買はない旨強調して居ります。無断売買は禁止されて居り、其に触れるような供述を期待することは無理である。スミヱの五一年三月八日付検面調書二項に「こんなに値上りしましたからそろそろ売りませうとか、これは損になりますがもう上る見込みがないと思いますので売り払って別の株にのりかえましょうという話をして私に売買させておりました、しかし一年間を通じてどれ位い儲かったかあるいはどれ位い損をしたかということは全然分りませんでした。」旨の供述記載、同月一〇日付検面調書一項に「昭和四七年のことですがそのころは野村証券の小松さん、新日本証券の太田さん、大和証券の西田さんから毎日のように電話がかかってきて株の売買の勧誘を受け殆んどそのとおり株の売買をして居りました。」旨の供述記載があります。証券会社は仕事始め、仕事納め、月曜、祭日を入れると年間約七〇日が休日となります。とすればスミヱは二九六日で八一一回以上の株売買をした事になり取引の実態を把握する事は到底不可能な状態であった事は容易に推認されると信じます。スミヱや被告人が述べて居る通り証券会社の手数料稼ぎでスミヱが実情を知らないところで商いがなされたとしか考へられない。ある球団のオーナーが資金は出すが球団の運営には干渉しないと言った言葉に似通ふ点がある案件かと思料されます。

其を裏書きする事実として太田雅拡の供述調書三四〇問に「取引がずっと継続していたのでスミヱが受取るべき現金は宙預りで奥さんに渡すべき金銭を預っている場合が多い。」旨の供述記載、前顕早野孝司の供述調書九〇問乃至一五一問、一六〇問、一六一問に「売買報告書は四日目に清算して被告人や奥さんに相談なしで判子は支店で作って肥後銀行熊本支店、肥後相互銀行熊本支店に被告人の預金口座を被告人名でなく仮名で数名の通帳を作り何百万か預金していた。普通預金から金の出入れは太田の請求でやった、旨被告人やその妻は普通預金まで作って操作していたということは全く知らなかったようであくまでも銀行へ入れたというのは内部管理の問題でやった、お客には関係ないと思っていいわけです。」旨の供述記載があります。此の事実は又一面スミヱが証券売買取引に付いては素人だという事を物語っていると思料します。

右事実を全く知らないスミヱの証券取引に対する知識、理解度に付いて三証券の担当者の見解はまちまちであります。高本義信の供述調書二二〇問に「松村スミヱの証券取引に関しての知識はとりたてて御存じだということではなかったと思います。」旨の記載、小松英夫の供述調書二五四問に「奥様も非常に株式に精通なされる方と私自身も判断していたので五〇回以上二〇万株は知っていたと思ふ。」旨の供述記載。太田雅拡の供述調書一八二問に「スミヱは株に詳しい方」との記載。西田隆の供述調書八五問に「信用取引をやるということはかなり株式に詳しくないとできませんから五〇回以上、二〇万株以上のことは知っていると思っていた。」旨の供述記載があります。然し証拠上明らかな通り信用取引は小坂鉄士等がスミヱにすすめて口座を設けたものでありスミヱ自身の発意に依るものではない。

スミヱの株式取引に関する知識は預り証を持っていたら間違いないと言ふ程度であるとしか考へられない。株式を売買する人の其に対する知識のい、ろ、は、は銘柄、数量をきめ値段は指値する事であるのに拘らずスミヱが銘柄、数量、指値して三証券に対し、売の注文、買の注文をしたと認められる証拠は全くありません。担当者委せの取引に終始して居る事実は前記の通り証拠上明らかであります。

四 スミヱの所得税確定申告等に対する認識に付いて。

前記の通り課額の対象となる五〇回以上二〇万株以上の点に付いて「奥様も非常に株式に精通なされる方と私自身も判断していたので五〇回以上、二〇万株は知っていたと思ふ。」とか「信用取引をやるということはかなり株式に詳しくないとできませんから五〇回以上二〇万株以上のことは知っていると思っていた。」との供述記載がありますが何れも想定にしか過ぎない。三証券の担当者がスミヱに対し株式売買は年間五〇回以上二〇万株以上の取引をしたら課税の対象になりますよと教示したと認められる証拠は全くありません…それは多額の資金量を扱っているスミヱにこの事を教えたら取引停止と言ふ事態が発生し手数料が稼げなくなることを懸念したとしか考へられない…スミヱの原審公判廷に於ける供述調書一一七乃至一二〇の記載に依れば四八年暮頃俳優の園井啓介が脱税事件(株式売買)で検挙されたということを新聞記事で見て株の売買は年間五〇回以上二〇万株以上になると利得のある場合課税の対象になるということを初めて知った旨の供述記載があります。

スミヱが被告人から有価証券取引について、包括的な委任を受けたのは被告人から投資信託の預り証と印かんを預かった時点である。夫れ迄被告人の指示に従って投資信託の切替へ、新規購入の仕事を手伝っていた様であります。前記の通り被告人の投資信託は分離課税制をとっていたので確定申告の必要はなかった、スミヱは株式の売買(現物、信用)に付いても投資信託同様分離課税になっていると誤信していたのではないかと思料されます。

同人は四二年八、九月頃尾崎斉にすすめられて同人のいいままに株の売買をして居ります(同証人四八問乃至五二問の記載)包括的委任を受けた後前記の通り株式の売買をして居りますが夫れ迄納税の事に関心を払った形跡はありません。四七年度に雑所得の利益所得があったと言ふ事に対しての認識すらなかった事実からして同人は主人や子供に株式を売買している事が判りはしないかと言ふことが一杯で税金のことは考へなかったというのが実情かと考へます。

(五) 被告人は妻スミヱが株式の売買をしている事を知らなかった事情等に付いて。

(1) 被告人は妻スミヱに投資信託や株券の預り証印かんを渡す際株は塩漬けにして置く事と株の売買には一切手出しをしない様にと言い渡しており、其は塩漬けにしておいたら株価は上るという考へから以前被告人自身株の売買をして損をした痛い経験があったので素人の妻に言い渡した事実が認められます。

然し蟻がミツに密集するように多額の資金量を扱っているスミヱを三証券の担当者が見逃す筈はない、執拗な勧誘に負け株式の売買に手を出す様になった経緯は前記の通りであります。此の事実を被告人や子供に知られたくない一念からスミヱは被告人の留守の時間帯である午前九時過ぎから午后五時までの間(此の時間帯は子供も不在)に電話をかける事と被告人方を訪問する様にと三証券の担当者に要請して居ります。前顕証人等の供述記載によって明らかな通り三証券の担当者がスミヱに電話をかけるのは午前九時過ぎ頃からでありスミヱに予め電話をかけて面会するのも前記の時間帯であり、証券会社の車と判る自動車で訪問する事すら断っていた位スミヱは発覚する事を恐れて神経をとがらせております。担当者に対しても私が証券関係をやっていることは一切話さんで呉れ(小松証人二三一問)と頼んでいる位です。

三証券の担当者が被告人と同人方玄関であったとか、庭先で散水しているのを見受けた等被告人と出合った事実があったとしても株式の事で問答したという証拠はありません。高本義信の供述調書一七七~一七八問に「電話に被告人が出られましても(おい電話だよ)というて奥様に直ぐ替わられた」の記載、太田雅拡の供述調書六〇問以下に「電話口には社長が出られた回数が多かった様に記憶しております。」旨の記載があります。太田証人の前記証言に対し被告人はすかさず「本当のことを言って下さいよ」と発言したので裁判長からたしなめられた事実が認められます。被告人の右発言は看過出来ない。其は三証券の担当者からの電話に被告人が応待した事実がないのに虚偽の証言をした事に対する怒りの言葉と受取られるからであります。被告人が自分の手で証券取引をしていた当時投資信託や株の配当金、投資信託の満期になった償還金を証券会社は渡そうとしないで、新らしい投資信託の購入資金に充てきせていた、スミヱも証券会社から一銭も受取っていない、被告人はスミヱは被告人自身の取引方法を踏襲しているものと信じていた。

事実は昭和五二年四月二五日原審公判廷に於ける被告人の供述二一一乃至二二〇の記載に依って明らかであります。昭和一八年以来連れ添って来っ口喧嘩一つするではない睦じい仲の被告人夫婦、二人で苦労に苦労を重ねて築いた財産、妻を愛し、信頼していた被告人の心に妻の行動を疑ふ余地があったろうか、後述の通りスミヱが株式売買をしていた事実を被告人が知った段階で被告人は初めてスミヱを叱責し、そのためにスミヱはショックの余り寝込んだ事実が認められます。「心、此処に在らざれば見れども見えず、きけども聴こえず」という諺があります。仮令被告人が三証券の担当者等と玄関先などで会った事実があるとしても妻スミヱが被告人を裏切って株式売買をしているその用件での訪問や電話だと考へる余地があったとは考へられない、投資信託の件で電話をかけたり訪問する事もあり得るからである。

(2) 昭和四九年三月四日付大蔵事務官山口勉の被告人に対する質問てん末書問三乃至五にはスミヱは被告人の指示により取引していた旨の記載があります。即ち「妻は証券に対する知識も余りなく証券会社の言うままになるようなこともありますので私は絶えず注意はしておりました。云々大きい意味では私の指示の範囲で売買をしていたわけです。」との供述記載は本件を有罪とした心証形成の大きな資料となったのではないかと思料します。

然し被告人がスミヱに取引を委せたのは関係会社の仕事が多忙で証券取引にまで手が廻らなくなった関係からである事実からして被告人の前記供述は措信し難い、此の点に付いて原審証人山口勉の供述調書の記載によれば被告人は当初取引は自分がやったと述べていたが五〇年一月から全面否認していた事実が認められます。被告人の五一年二月二〇日付検面第一項には「家内には(株は一切やるな)と言っておりましたからやっていないものと思っていました。」旨の供述、同三月九日付検面一項末段には「預けるとき家内に株をやってはいけないということは話していません。」旨の供述記載があり首尾一貫しません。然し前顕被告人の供述調書、一六四乃至一七三の記載によって明らかな通り国税局の調査によって本件取引が判明したので被告人はびっくりしてスミヱに対しお前なぜ俺にかくしとったかとおこりとばした事実被告人があまりに立腹し、あまりにもやかましく言ったのでスミヱは到頭倒れ込んでしまい、食欲も全然ない様になった、被告人は病弱の妻をこれ以上追及すれば妻がだめになってしまいはせんかと心配の余り妻の取引を自分がやったと述べたもののスミヱが真実を供述したので被告人も前段の供述を変更した経緯が認められます。其が真相であります。

スミヱのてん末書は四九年七月二日が最初であり、被告人は同年三月四日、三月二〇日とスミヱよりかなり早くてん末書をとられて居ります。

(3) 被告人は妻スミヱから尾崎斉の私製預り証を見せられたので早く精算する様に指示して居りますがそは投資信託の預り証をスミヱが持っていたのを尾崎が甘言を弄して預り、それを無断で売却して、他の株を購入したその株(銘柄、数量、仕入値記入)の預り証であり、スミヱが売買したのでない事が判明していた。従って四七年七月野村証券から現物で弁償を受けた時点で被告人は妻スミヱが株式を売買している事実を知る由もなくスミヱはその時他の二証券との株式売買の事に関しては口をつぐんで被告人に語っていません。野村証券から現物弁償を受けた株は優良銘柄という事だったので被告人はスミヱに対してその事を話して塩漬にして置く様指示していますがスミヱは小松英夫の強引な勧誘に負けて株を資本に株式売買をしておりますがこの事実も被告人の知らない間の取引であることは証拠上明らかであります。

四九年二月五日頃から国税局の調査が開始された後同月二〇日頃証券会社員に対し被告人自身は株式の売買はしていない旨告げた事実は山本知義等の供述記載に依って明らかであります。既に調査が始まっており証券会社は国税局の調査には弱い、それに口止めすると言ふのはナンセンスである。被告人の意図は何処までも自分の取引ではない点を明らかにして貰い度い一念から山本や小松を呼出して面会したと見るのが妥当であると考へます。

被告人は税務署の調査を受けた後、被告人自身株の取引をして居ります。(前顕供述調書一二八乃至一三五)そは水野課長等の勧誘もあった為ではあるが一面株式売買に詳しくない妻に任す事の不安の現れと思料します。

(六) 被告人の納税に対する姿勢等に付いて。

被告人の四七年度の所得税確定申告書は雑所得関係の所得加算の逸脱があるだけで他は正確であります。是迄被告人自身の所得をごま化して税務署の厄介になった事実もなく三月九日付検面五項には「私は家内が株をやっていることを知らなかったので税金を納めていませんでしたが株はすべて私のものですから税金は私が必ず支払うつもりです。」と納税の姿勢を明らかにしております。伊藤正一の供述調書一九乃至三一の供述記載に依れば被告人は昭和四五年熊本税務署の特調班から調査を受けた事があり、調査の対象は被告人が肥後相互銀行に無記名で七五〇万円預金していたその金の出所が明確になったら別に課税しないから出所を明確に返事して下さいと言ふことであった。税務署は法人の売上げなんかを脱税した金とにらんでいたようであります。被告人は当時一、〇〇〇万円位の金は常時持っていたのでその事実を説明したら税務署は納得する筈と言って伊藤正一が七五〇万円の金の出所を明らかにする様にとすすめたのにきき入れなかった肥後モッコスの典型的性格の持主の様であります。曲った事、隠しごとのできる人物ではない。

以上の事実を彼此綜合して考へると所得税法第二三八条一項二項に該当する構成要件事実は全くありません。本件は証拠不十分として速やかに無罪の判決相当と思料します。

本件は単純不申告として国税当局は取扱うのが適当であったと思料します。裁判所は国選弁護士の支給に関して国選弁護を受任した各弁護士に対し法に則り源泉徴収表を交付して各弁護士の確定申告の正確を期して居ります。本件取引の型態に於て大蔵省証券局が証券会社に対し法改正か通達等によりその顧客に対し裁判所と同様な文書を交付していたら雑所得の確定申告は正確になっていたと思料されます。

昭和五二年(う)第三三四号

主任裁判官 ホ

控訴趣意補充書

所得税法違反 松村四郎

右者に対する頭書被告事件に付いての控訴趣意書を左記の通り補充します。

昭和五二年一一月一五日

弁護人 高良一男

福岡高等裁判所

第三刑事部 御中

左記

控訴趣意書第一点の(一)は所得税法上課税物件は所得であり、雑所得は所得金支払いの時点で課税の対象となると思料します。

本件に於ては被告人が野村証券、大和証券、新日本証券との間に株式現物取引に依る所得がいくら等と各証券ごと各勘定科目毎に所得を明記し、その所得は被告人に支払はれたのか又は三証券と残高照合に依り所得の増加を告知又は認識したかその点まで判示するのが適法かと思料します。原判決の別紙修正損益計算書では此の点が明らかでない。

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